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Hayabusa Racing 誕生前秘話① ー 全体未聞の屈辱を味わう

  • hayabusaracing2025
  • 1月20日
  • 読了時間: 3分

更新日:4月28日


参加した世界大会

負けることと、F1 in Schools(現STEM Racing)のワールドファイナルに参加する気になれないほどの屈辱を味わうことは別のことだ。私は2023年の世界決勝大会に参加したが、もちろん楽しかったが、日本に帰ってゼロからまったく新しいチームを立ち上げるほどの屈辱を味わった。



大会前


私は昔も今も筋金入りのF1ファンだ。学校でのF1競技を知ったときは、控えめに言っても、かなり驚き、高揚した経験だった。エイドリアン・ニューイの『How to Build a Car(車の作り方)』や技術書『Tech Tuesday』に目を通した日々が、ついにエンジニアとして実を結ぶことになったのだ。私は12月近く、日本の反対側にある高校のチームに入ることができた。遠く離れてはいたが、情報化時代だった。



How To Build A Car: Adrian Newey
How To Build A Car: Adrian Newey

私の課題はシンプルで、CFDソフトを含む提供されたリソースを使って速いクルマをデザインすることだった。これがチャンスだった。私は3カ月ほどでフュージョン360を習得し、2023年のワールドファイナルカーの開発に取りかかった。


なぜリージョナルではなくワールドファイナルなのか?と不思議に思われるかもしれない。それは、日本には私たちしかチームがなかったからだ。地域大会を開催し、1チームが参加して終わりにすることもできたが、ICCはその必要はないだろうと判断した。


ともあれ、マシンのデザインは完成し、その後、日本の反対側にある高校でテストを行い、なんと1.05というタイムを記録した。当時の新しいレギュレーションでは、このタイムで最速マシン賞を獲得できたはずだ。世界基準で考えても、、私たちは旋盤を使って作ったナイロンシャフトとホイール、そして非常に高価なベアリングを使っていた。



大会当日


コンペティションが始まる前に、私は一つの大きな問題が横たわっていることに気づいた。私以外は誰も英語を話せなかったのだ。世界最終予選の1カ月前、彼らは私にそう告げた。そこで私はマーケティングとエンタープライスのポートフォリオを調べてみたが、ほとんど空っぽだった。


その資金はどこから?学校が資金を提供していたのだ。マーケティングも企業活動もほとんどなく、ピットのディスプレイもほとんど完成しておらず、公式ウェブサイトもなく、ソーシャルメディアのアカウントもほとんど投稿していない。学校はなぜか自分たちでお金を稼ぐことを許さず、ソーシャルメディアの使用も厳しく規制していた。


だからもちろん、私たちは行った。結果は惨憺たるものだった。


プレゼンテーションは、私がやってもいないし、存在もしていないマーケティングについて話すだけだった。


エンジニアリングは、審査員が翼をどのように配置したのか、翼をどのような角度で配置したのかなどと質問し始めるまでは順調だった。私はすべてを手探りでやって、その日を終えた。


レギュレーションを満たすマシンはできたが、あまり速くなかった。

なぜか?テストに使ったキャニスターは冷蔵されていなかった。

2日目、私は起きることができず、ピットインタビューの時間ぎりぎりに競技会場に行った。



Pit interviews

大会後


だから私は日本に戻り、この大会でリベンジを果たすだけでなく、「子どもたちにお金を触らせない」という日本の風習に対抗するために全力を尽くしている。


STEMだけでなく、マーケティングやプロジェクト管理、チームワークなど、素晴らしい経験を得るために、学生たちが自由に参加し、競い合うことができるように、私たちは日本の未来に火をつける必要がある。


日本の学生にもそれができることを世界に証明することが、その第一歩なのです。

 
 
 

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