Hayabusa Racing 誕生秘話③ - 学生団体の資金集め
- hayabusaracing2025
- 5月9日
- 読了時間: 4分

前回までのあらすじ
世界大会で敗北を味わい日本に帰ってきた山藤だったが、なかなか次のチームを始めるメンバーを集められなかった。そんな中塾で森と出会い、彼の学校を中心に新メンバーを集め、いざ開始というところだったが、そこから一体何をすれば良いのかもわからず勢い余っているチームは車体を作り始めるも、世界大会に向けて一体どうすれば良いのかもわからない状態だった。
資金集め第一弾
何よりもチームで一番成し遂げたかったのは、自力で資金集めを達成して、世界大会に出場することだった。日本チームではそれを成し遂げたチームはまだ1チームもなかった。
ということで、我々は全力でプレゼンテーション資料を作り、特に自分たちが参加する上できちんとしていることを強調して参加する大会の信頼度や我々の活動のレベルの高さ(車体は一台もまだ作っていなかったが)を誇っていたが、その時は活動場所も、実績も、ビジョンも何一つとしてなかった。
そう考えるとこの時期に資金が少しでも集まったことが奇跡だと思う。
ちなみにその時使用していたスライドが以下のものである↓
伊藤洋一さんとの出会い

そんな中、奇跡的に出会った人物が伊藤洋一さんだった。というのも、森が偶然行った化学未来館で、偶然出会って、お話をしに三鷹にある Musashino Vally に行ったのが初めてのミーティングだった。
上のスライドを見て貰えばわかるが、いったいなぜこの内容で支援していただいたのかは今思うと何もメリットも熱意もなく、謎が多いが、ここから多くの方に紹介していただいた。そのおかげで、現在のスポンサーの多くが我々のチームを支援していただいている。
とはいえ、ここで一度紹介をしていただいた多くの方々には支援を見送られた。1番の理由や、上にあるスライドの内容を見ていただければわかるが、あまりに丁寧すぎて理由も情熱も伝わっていなかったのだ。
プレゼン修正の日々
これを最も直接言われたのは、ある会社にプレゼンテーションに行ったときに、代表の方に一度プレゼンについて相談できる人を紹介するからその代わりに数ヶ月後にもう一回戻ってきてプレゼンをして欲しいと言われた。
そこで紹介された2名の方に8月から12月にかけて:プレゼンを送って、毎回ボコボコに言われ、そして直して送る、という作業を繰り返していた。そこでわかってきたことを自分なりにまとめると以下のようになる:
プレゼンと資料は別。プレゼンは話をうまく進めるための道具だが、資料は資料だけ送って自分たちについて理解してもらうためのものだ。
写真や動画の方が言葉より圧倒的に早く情報伝達ができる。一見は百聞にしかずということである。
チームが何をしているのか(目標)と、何をしたいのか(ビジョン)は異なること。この二つをしっかりと立てることが重要。
学生団体でもとにかく大きいビジョンを立てるが、目標が現実性のあるものを立てる。
プレゼンは開始15秒が勝負
チームとして良いリターンがない場合は、とにかく相手側に応援したいと思わせることが重要
最初に何が欲しいかを明確にする
楽な道はない
しかし良いプレゼンテーションができてもその後プレゼンする人がいなければなんの意味もない。というわけで実際にスポンサー候補の企業さんのところに話に行く必要があるのだが、これも紹介がなくなると、話す人がいなくなる。
というわけで、ここからひたすら問い合わせ文章を送りまくる日々が続くのだが、やはり返信率は低い。とはいえ、逆に問い合わせて帰ってきた企業に関しては支援をしてくださる意向の企業さんが多いため、送り続けて待つ必要がある。ここには楽な道は一個もなく、ただ地道にメールを送り続けなくてはいけない。
現在はそのメールや問い合わせを続けている状況で、世界大会まで時間が迫っている中、ペースを早めて送り続ける必要がある。
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