Hayabusa Racing 誕生秘話② - 日本に戻り
- hayabusaracing2025
- 4 時間前
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というわけで、前代未聞の屈辱を味わい日本に帰ってきたあと(そのエピソードについてはこちらから)、数ヶ月間振り返る時間があった。というのも、もちろん負けたものの、もう1年間福井のチームでやっても良いのではと思った。そんな中、度重なる偶然のおかげか、Hayabsua Racing というチームが生まれた。
迷い
最も難しかったのは、単純な実現性がどれだけあるのかというか話だった。自分の周りにチームを一緒に組んでくれるような F1好きは当然おらず、いきなりチームを始めると言ってもそんな前例は日本のどこにもなく、特に「ロボコン」「ビジコン」だとか「ロケット甲子園」といったある程度の知名度がある大会と比べて、いきなりどうやったら資金が集まるのかも検討がつかなかった。
そんな中、世界大会のシンガポールに行った直後、僕は中国に短期留学に行った。運が良くも悪くも中国では日本の誰とも通信は繋がらない状態だったのでじっくり自分だけで考える時間は長かった。そんな中シンガポールでの写真を眺めて、上のような観光に行ったかの写真しかないことに何かとイライラしたのか、あるいは単純に昔ながらの負けず嫌いが自分の合理化に勝ってしまったためか、理由は何にせよ、戻ってくるとふと、絶対に世界一になりたいという感情が自分の中で沸々と湧いていた。
ちなみに学校に新たなチーム作成を打診したのだが、担任に跳ねられてその夢は一瞬でチリとなった。
結成
僕がスポンサーとの雑談の中で話すストーリーは、自分が塾で偶然森と出会い、ふとiPadの背景を見てみるとフェラーリのF1カーだということを見て、この大会に出ないかと誘ったのできっかけだった。という。
もちろん偶然は偶然なのだが、その前に必然のような偶然が起こっていたのだ。中国に1ヶ月ほど短期留学に行き、その上その前はシンガポールに行っていたため、塾の夏期講習が全く受けれておらず、もちろん戻ってきてのテストではボロボロ。上のクラスにいたところが一個下のクラスに当然のように下された。
その一学期後に森が塾に入ってきて、そこで初めて出会った、というところだ。
出会ったはいいものの、ラインで軽く大会の紹介をしただけで、特に何も返信はなく、さすがにあったばかりで急に話をふっかけすぎたのかなと思っていた。二週間後、森からメンバーを集めたという趣旨のラインが来る。
このようにして急造で東京の(当時は)F1 in Schools チームが結成された。
はじめの一歩
もちろん僕が最も経験があったので、自分がエンジニアリングをやるのだと勝手に思い込んでいたのだが、レギュレーションを渡してはや一ヶ月、一台目の車が完成していた。一台作るのに3ヶ月かかった僕は、早々と開成の天才たちに車体制作を任せることとした。
Xやインスタで我々の一番最初の投稿を探していただけると分かるのだが、この謎のレンダリングをチームのモチーフにして活動を始めた。

僕も資金集めの経験は一才無く、チームの誰にももちろんそんな経験を持っている人はおらず、大会に参加をして、なんとか資金を集めて、エンジニアリングで世界最速の車を作るというのが我々の目標だった。ものづくりだったら日本は最強なのでは、とどこかで思っていたのかもしれない。
そんな中手探りで世界一に向けての冒険が始まった、、、
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